2015年06月18日

30年前これは誰の見た風景?

前回)からの続きです。

誰かが写して、でも現像はされずに忘れ去られたフィルム。
それが30年を経過して私のもとにやって来ました。
そのフィルムと、フィルムが入っていたと思われるカメラを、
ebayに出品していたのはアメリカのsellerです。
住所を見ると、
Castro Valley, California, United States
となっていました。
きっと、この近くに住んでいたどなたかが、
カメラの中に撮影済みのフィルムが残されていることを知らずに、
中古カメラ屋さんに売り渡してしまったのでしょうね。

そんな昔のフィルムの現像がうまく行く確信はありませんでしたが、
とにかくやってみたところ、予想以上の仕上がりでした。
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確認できたコマ数は19枚分。比較的明瞭な写真もありました。
それらを手掛かりに、撮影時の状況について勝手に想像してみました。

1983年頃のカリフォルニアの良く晴れた週末、
カメラ好きのTough君はいつものように"Minolta-16Ps"を持って、
家族や仲間達と連れ立って近くの競馬場に行きました。
この日は、欧米各国の楽隊などが参加して、
国際親善のフェスティバルが開かれるのです。

会場に着いて、まず最初にお姉さんにカメラを向けました。
気のいいお姉さん、いつも写真のモデルになってくれるのです。
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観覧席の裏手では、既に各国の楽隊が行進の準備をしていました。
スコットランドの民族衣装、タータン模様のキルトを身につけた楽隊もいますね。
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そして程なく、競馬場の芝生のコースに、
星条旗を先頭にした一団が見えてきました。
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各国の整然としたパレードに、観客は大喜びです。
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次の写真、星条旗とユニオンフラッグが並んでいます。
気温も上がって、上半身裸の男性もいますね。
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さて楽隊と観客を撮影した後、Tough君が観覧席の裏手の庭園に行くと、
女ともだちのSusieが休んでいました。
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「やあ Susie!、そのワンピースは素敵だね。とても似合っているよ。
 写真を撮ってあげるね」
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そして、庭園の木陰に座っている叔母さま達も撮ってあげました。
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Tough君は家族や友人の写真を撮って、皆んなに配るのが好きなんです。

この日は17枚撮影しました。フィルムの残りは3枚です。
翌日、同僚のTomとBillを誘って一杯飲むことになっていたので、
その席で撮り切ってしまうことにしました。
「Tom、君の写真を一枚撮ろう。フィルムが残っているんだ」
最後の3枚a
「ああそうだ、Billと二人のところも撮っておこう」
最後の3枚b
そして、最後の一枚は逆に、TomがToughを撮りました。
いつも撮る側のTough君にとって自分が被写体になることは珍しいです。

でも、残念ながらToughの写真は残っていませんでした。
それは、こういう理由です。
最後の3枚分のフィルムをスキャナで読み込むと、次のような状況でした。
最後の3枚
18枚目は普通に写っています。
19枚目は右端側が不用意な「光線引き」で少し白くなっています。
20枚目は完全に感光して、元の画像は「蒸発」したかのように失われています。

このような不用意な感光ミスを避けるためには、
このカメラは規定の20枚の撮影が済んだ後に、更に2枚の空送りが必要です。
今回のフィルムは20枚目を撮った後、空送りされずに、
別の誰か(多分中古カメラ屋さん)によって裏蓋が開けられてしまったようです。
あれほど写真を大切にしてきたTough君が、
せっかく撮り終えたフィルムをきちんと現像に出さずに放棄するなんて、
彼に何が起きたのでしょうか?
突然「人間蒸発」しちゃったのかな?.....情報求む

続く

toughchan at 00:00|PermalinkComments(0)

2015年06月16日

ミノルタ16用カートリッジの入手

前回)からの続きです。

50年に渡る思いを込めて入手した、ミノルタ16ですが、
これで撮影するためには、カートリッジとフィルムが必要です。
そして、このカートリッジ(マガジンとも言う)は、
空であろうがフィルム入りであろうが、現代ではとても入手困難です。
というのは、とうの昔に製造中止になり、
かつ骨董的価値も無かったので皆んな捨てられてしまったからです。

いかにも貴重品と思えるカメラ本体は、
いろんな人が保管しているのに(だから中古市場で良く見かける)
一見無価値と思えるカートリッジは、レアものになっている。
歴史の皮肉ですね。
ヤフオクで見かけても、いかにも人の足元を見るような高値がついています。

そんな私が穴場と見つけたのは、いつものイーベイ(ebay)。
ここを丹念に探すと、カメラ本体とセットで売られていることがあります。
私が購入したセットはこれです。
01ミノルタ16Ps
ミノルタの16mmカメラの普及機"ミノルタ Minolta-16Ps"とフラッシュ、
そして期限切れ未使用フィルム入りの「カートリッジが2個!」です。
これで何と僅か"$15"でした。
(もっとも、送料に$18かかったのが理不尽のような気もしますが)

商品はカリフォルニアから落札10日後に海を(空を?)渡って到着。
カラーフィルムの詰められたカートリッジでした。
一つは箱入りで、もう一つはむき出しで。
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使用期限は、1985年の1月って、約30年前ですね。
フィルムに心があったなら、この30年間、
世紀をまたいで無駄に老い行く日々を、どんな気持で過ごしていたことでしょう。

ふと、いたずら心が湧いてきました。
カートリッジに貼られたシールを見ると、
現像方法として、"PROCESS C-41"と指示されていました。
これは私の使用している現像液「ローライ デジベース」の現像プロセスです。
カートリッジに現在詰められている古いフィルム、どうせ捨ててしまうのなら、
この21世紀に、写るものか写らないものか試してみることにしました。

そして、今回おまけ?で付いてきたカメラ"ミノルタ-16Ps"にカートリッジを装填して、
取り敢えず数枚分を撮影した後、裏蓋を開けてみました。
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「あれ???? フィルムが見えなくなってる」
フィルムは20枚撮りでした。
その内の数枚分を撮っただけなので、ここにはフィルムがまだ残っているはずです。
事態が良く飲み込めませんでした。
フィルムがカートリッジの一方に完全に送り込まれているということは、
既に規定の20枚以上が撮影されたことになります。
やっと分かりました。
「そうか未使用のフィルム入りのカートリッジではなく、
 撮影済みのフィルムが入ったままのカートリッジだったんだ!」

では、一体誰が、いつ何処で撮影したものなのでしょう?
分かるはずはありません。
そして以前、これと同様の体験をしたことを思い出しました。
50年前これは誰の見た風景?」です。
その時と同じように、できるかどうか分かりませんが、
このフィルムに30年間も閉じ込められていた風景を取出してみようと思いました。

続く

toughchan at 00:00|PermalinkComments(0)

2015年03月06日

愛隣の心はアンパンマン

母のアルバム」に少し見覚えのある写真が一枚ありました。
01愛隣幼稚園
右遠方に見えているのは、愛隣幼稚園。私の通った幼稚園です。
正面の二階建ての洋館には、確かその園長先生(教会の司祭様)がお住まいでした。
雨の翌日だからでしょうか、中央の小道には水溜りが残っています。
舗装もされていない砂利敷の道、
ここに木の枝で絵を描いたり、或いは四角のマス目を作って石蹴り遊びをしたり、
幼年期の思い出がよみがえります。
道の右側には畑、左側には木の塀で囲われた二軒の住宅が写っています。
外壁は木の羽目板、当時の家としては普通の仕様ですが、火にはいかにも弱そうです。
これは「専売公社(JTの前身)」の社宅でした。
実際、この社宅は1960年頃に火災によって消失したので、
この写真は、それより前の1950年代後半のものと思われます。
撮影者不明、ひょっとしたら幼い私が撮ったのかもしれません。
とすれば、カメラは買って貰ったばかりのフジペット。

いずれにせよ、この地を離れてはや数十年、
先日この近くに用事があり、合間を見てこの幼稚園を訪ねてみました。
ほとんど昔と同じ状態で残っていました。
幼稚園と共にある教会の塔が隠れないように、
昔の視点からやや左にずれた位置から次の現況写真を撮りました。
02遠景

近くで見ると、塔と聖堂は次のような形をしています。
03全景
壁は大谷石積み。
フランク・ロイド・ライトが、帝国ホテルの旧本館で多用した石材として有名です。
でも、この地ではありふれた石材です。
というのは、産地の「大谷」はすぐ近く。
当時は自転車で大谷まで気軽に遊びにいきました。
この教会の石造りで窓の少ない重厚さはちょっとロマネスク的です。
ゴシックの壮麗さではなく、ロマネスクの地味な雰囲気が私の好みです。
昔の写真のように、壁にツタが絡まっていると更に良かったのに、と思います。

この教会って国の登録有形文化財に指定されているそうです。
04登録文化財
子供の頃に日常的に使用していた施設が文化財になるって不思議な感覚です。
在園時は聖堂での礼拝の度に「天にまします我らの父よ」と唱和し、
卒園してからもしばらくは、卒園児向けのクリスマス会などが催されて、
椅子取りゲームやプレゼント交換を楽しみました。
そんな普通の生活の場だったんです。

園庭と園舎も以前のままのようですね。
05園庭

愛隣幼稚園の創立は1912年、市内で一番最初の幼稚園だそうです。
教会は、その前年の1911年に、
日本聖公会の「宇都宮聖ヨハネ教会」として認可されています。
目白駅西の目白通り沿いにある「目白聖公会」もお仲間ですね。
06目白聖公会
こちらは1918年の創設だそうですから、愛隣幼稚園の教会の方が先輩です。

昔の写真の小道の現況を逆方向からも撮ってみました。
07関東バス
右側の専売公社の社宅だった所は、普通の住宅になりました。
反対側の畑は、「結婚式場くろかみ荘」の社宅を経て、今は建て売り住宅群になりました。
道の突き当たり、以前ここは関東バスの駐車場だったのですが、
敷地が広かった分、巨大な屏風のようなマンションが建ち、空を塞いでいます。
丁度この方向に沈む夕陽が、この小道で遊ぶ子供たちを赤く照らしていたのに、
今では赤くなる前に太陽が隠れてしまいますね。残念。

今回縁あって訪れた愛隣幼稚園のHPに、園の保育理念が記されています。
それを以下に引用します。
『世界で最初に幼児教育を手がけたのはドイツ人のフレーベルでした。
フレーベルは、幼子は放置しておくと野蛮人になってしまうとする当時の常識に反して、幼子が人間の命の豊かさを十分に示しているのに気づきました。
そこで、幼子が花のように美しく咲いているという意味で、Kindergarten(キンダーガーデン:こどもの園)という名前をつけました。
「神の国は幼子のような者たちのものである」というイエス・キリストへの信仰があったのです。』

この文章の中の「フレーベル」と「キンダーガーデン」で思い出した事があります。
私が園児だった頃、この愛隣幼稚園を通じて、
「フレーベル館」という出版社の「キンダーブック」という幼児誌を購読していました。
キンダーブック
(これは上野の国際こども図書館の展示品です)

更に調べてみると、「フレーベル館」も「キンダーブック」も現存しているんですね。
フレーベル館のHPには「キンダーブックのあゆみ」として、
昭和2年(1927年)の創刊時からの表紙が
『夢をつないで80年 あなたはいつの時代に出会いましたか』
の言葉とともにたくさん並んでいました。
ちなみに、私が馴染んでいたのは、表紙が真四角の時代のブックですよ。
また、表紙の一覧を注意深く眺めると、
戦時中、「キンダーブック」の名前が使えず
「ミクニノコドモ」の誌名で出版されていた時期があったようです。
そして翌年は休刊、更にその翌年には戦後復刊第一号を出版と、
このような幼児誌にも時代の世相は反映されるのですね。

今はどうでしょう?
この出版社はやなせたかしさん原作の「アンパンマン」シリーズを発売しているんですって。
素晴らしい!!
愛隣の心は、私の孫の世代にもちゃーんと繋がっているみたいですね。


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